名前:エラスムス
所在地:アムステルダム エラスムス邸
スキル:英語・考古学・宗教学
発見物報告:宗教遺物
★実在データ★
名前:デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus)
生没:1466?67年?10月27日-1536年7月12日
出身:ネーデルランド
職業:人文学者、司祭、神学者
主著:「痴愚神礼讃」「キリスト教戦士の手引き」
★水無月's 偏り解説★
宗教改革の大元になったといわれている人文学者
トーマス・モアと仲良しでしょっちゅう書簡のやり取りをしていた
それらに触発されて「自由意志論」(De lebero Arbitrio、1524年)を執筆
マルティン・ルターがそれに食いついて「奴隷意志論」(De servo Arbitrio)を発表
さらにそれへの反論として「反論」(Hyperaspistes、1526年)を発表した
そのあたりでルターの宗教改革の過激度が増し、以後ルターには関わらないようになる
このことからもわかるように、実はエラスムスは死ぬまで教会派の人
当時の教会分裂なんかをなんとかして統一したくて頑張っていたのだ
なのでルターとは途中から方針が正反対になって見限ったんだけど
そのときには保守派教会関係者からはルターの仲間として見られるし
ルター側には途中から思いっきり反ルターの人、って見られるし
両方から責められる可哀想な立場に・・・
穏やかに、みんなのために良いほうへ進もうと模索してたはずなのに
最も有名な著書である「痴愚神礼讃」も
エラスムスの意図と違う形でルター派が反教会の書として利用し
結局教会から発禁処分を喰らってしまう
宗教改革がどんどん進み住処を追われて流浪して
最後は全遺産を市に委ねて貧しき人々に使われることを祈って世を去っていった
ルターが居なければ、教会が腐っていなければ、宗教改革がなければ
きっと穏やかに人を導いた神学者だったんだろうなあ・・・・
痴愚神礼讃 エラスムス (著)渡辺 一夫 (訳)